自律制御パーシャル 変化のパラメトリック・エージェント
AUTOMATOUS PARTIALS Parametric Agent of Change
ウェブスター辞典によれば:オートマトン(Automaton)とは、自分で動く、努力する、あるいは考えること、自己発生的な動き、あるいは行為をする力を持つと考えられるものを指す。(Huxley)…
この世界とそこに生きるオートマトン(自ら制御する存在)、すなわち我等人間の肉体と同じくらい、偉大で見事なオートマトン(からくり人形)(Boyle)…
自ら動く機械、あるいはそれ自身のうちに原動力を持つもの、主に機械について用いられ、人や鳥など生物の自己発生的な動きを模倣するものを言う。など…
コンピュータ辞典によれば:オートマトンとは、機械、ロボットあるいは一連の厳密な指示に従うようデザインされた形式システムを指す。オートマトン理論、オートマトンの発明と研究には、 コンピュータ処理の可能性と限界についての研究、システムにおける入力と処理そして出力の方法、行動理論及び自動制御装置使用とその操作の関係の研究などが含まれる。
上記の定義からも判るように、オートマトンという言葉は
感覚・意識を持ったものにも、機械のようなものに対しても用いられます。両者の違いは、その制御の源が何かという点だけです。前者では、制御の発生源は意志であり、内部から自然発生的に生じるのに対して、後者においては、特定の指示を実行するために、他者によってプログラムされているわけです。ただ、私達は、科学の全分野に広がりを持つ人工知能の研究を行なうのではなく、その関連知識・研究成果を人間変容のために応用することの方に強く興味を引かれました。
人格というのは、意識した部分と、オートマティック(自律)の部分の両方が含まれています。最高レベルの意識は、自己の意思を使って、決定を下したり、周囲の環境状況に影響を与えるような選択を行なう力を持っています。けれども、そのような心の働きが現れない場合には、自動的なプログラムが入りこんで、代わりに操作を行なうようになっています。例えば、人によっては「意志」の力で自らの心拍を速めたり、遅くしたりできることが確かめられています。ただ、そのような特別な人を含め、ほとんどの人にとっては、人生の大半は自動プログラムによって、コントロールされています。そのおかげで、より高い心の働きを他の目的のために役立てることができるのです。
この自動プログラムのことを、医学用語では、自律神経系(ANS-Autonomic Nervous System)と呼びます。この分野での研究は、主に自律神経系と身体への影響という側面に扱ったものが多いのですが、私達は、そこに内在する基本的メカニズムそのものに注目しました。 このシステムの基本構造は、思考から表現、そして行動へという実現に至るまでの流れであり、それを私達は「具現化サイクル」と呼んでいます。これに対する各人の長年の反応が、結果的には、その人の生き方や行動の形式となるのです。
思考はみな、現実と想像(imaginary)の要素、つまりひとつの根源から生じる実際の可能性と潜在的可能性の両方から形成されます。実際の可能性は、思考を構築するための骨格となる基礎となります。
それに対して、潜在的可能性は、多数の選択肢(可能な結果)を提示してくれますが、その実現は必要な能力を獲得できるかどうかにかかっています。物理学者の間で、物質の起源を説明するのに用いられている最新の現実モデル、いわゆる「超ひも理論のひも」は、このような現実と仮想(想像 imaginary)という副要素からできているのです。
これらはリアリティの自律パーシャルであり、全体のなかの、最小かつ最も個人的個別の部分を代表しています。別の表現をすれば、まず、先行する(前兆となる)正弦波(sine wave)と余弦波(cosine wave)があり、それに相関する形で、個々の周波数あるいは振動と、そのマグニチュードや位相が造られるのです。この正弦波が現実の要素であり、余弦波が仮想(想像)の要素なのです。このような最初の原型となる波に影響を与えるということは、リアリティそのものの形態を形成している原形を変調することになるのです!
私達の目標は、オートパイロットの状態と支配領域が、
緊急時に突然現れるような無意識の心の作用ではなく、我々の選択という指示命令によって支配されていることを明確にすることによって、それ(自律装置)をコントロールできるようにすることです。これを成し遂げるには、新たな自動プログラムとなる、新しいものの考え方や行動を習性化しなければなりません。それができれば、たとえ最大限の注意を払っていなくても、多様な部分からなる私達のシステムは、確実に望んだ方向へと進んでいくようになります。このようにして私達は、自分自身のリアリティを創造する技と科学を習得していくことができるのです。
《訳注=オートパイロット:コンピュータの操作手順をあらかじめ設定しておき、自動的に一連の処理を行う機能。自動巡回や自動操縦ともいう》
オートマトンというのは、ものごとがどのように動いているか、内的であると同時に宇宙普遍である、そのメカニズムを現すことばです。創造には、自然のオートマトンがあふれており、すべてのできごとや行動、物理法則は、そこに内在する機能という視点から説明することができます。『Sepher Raziel ha’Malach』という書物には、この良い例がたくさん見られます。そこには、宇宙普遍の根本的機能についての説明から、それらの機能を操作するための制御メカニズムの確定まで著されています。この本は参照事例や自動制御力に関する公式と証明の参照の宝庫です。それらの概念の多くは「忘れられて」いましたが、この書物は1701年に再び姿を現しました。自然のオートマトンについての、真に重要不可欠な書物です。
コンピュータがある種の特別な言語でプログラムされているということは、今では世界の常識ですが、コンピュータの自動制御という概念が、上記のような古代の指令形式に起源を持つということに気づいている人ひとは多くないでしょう。また、本来は魔法の呪文を明確に表す(公式化する)ために用いられていた、神秘的なルーン文字や記号が、現代ではコンピュータのプログラミング言語のオペレータ(演算子、作用素)として使われているというと驚かれる方もいるでしょう。
近年科学者の間では、セルラー・オートマトンに対する関心が復活してきています。Stephen Wolframeはその著書『A New Kind of Science』のなかで、長い間見向きもされなかったこの科学について、詳細な解説を行なうと同時に、今なぜ多くの科学者が、宇宙とその中の我々のいるところについて、新しい考え方を形成するために、セルラー・オートマトンのアイデアが活用できると信じるようになったのかを、判りやすく説明しています。
彼の最新の発見によれば、リアリティの全体は数行のアルゴリズム・コードで著すことができるのです! またセルラー・オートマトンは現実世界のモデルとして、「もし~したらどうなるか」という状況を考えたり、あるいは「シム・シティ(Sim City)」とか「シム・ワールド(Sim World)」、その他の複雑なゲームのソフトウェアとして、ユーザーがまるで「神になった気分で遊ぶ」ことを可能にしてくれます。さらには現実世界をモデル化して、その状況をきわめて正確に「予言する」こともできるののです。
≪訳注=セルラー・オートマトン:簡単なルールに従って時間とともに自律的に発展する細胞状の要素(セル)の集まりで、状態変化(反応)は一斉に起きるが、その反応内容は各々他のセルとの関係その他の条件によって異なるため、全体としては複雑な変化となる≫
現状の自然な機能に限定された範囲でなら、
今までどおりの「常識的な方法」でテクノロジーを開発することも、おおむねうまくいくでしょう。現代の人間の造りだしたテクノロジーは、ほとんどが型にはまってしまっています。この「常識的」手段で世界に近づこうとすることの最大のメリットは、行動領域であれ物理的領域であれ、それがあなたにとって、あらかじめ限界が定義されていることにあります。 最大の欠点は、そのようなテクノロジーの領域は、定義された境界内に限られているということです。つまり、既知の原則にしたがって設定されているために、その機能も限られたものに「固定」されてしまうということです。このように、ひとつの装置の開発とその適用は、それを造り、使用する人間の認知理解力の範囲内に限定されたものとなりますから、設定の変更等の再開発を行なわない限り、設計時に固定された仕様特性を超えて、発展伝播していく潜在的可能性はないのです。
一方、組織化されたオートマトンの構成と発展という「形式作用(formal working)」は、それとはまったく異なり、何世代にもわたって、自ら進化し、自ら定めた境界定義にしたがって機能を発展させていく「非有機的有機体」を形成していきます。非有機的ではあっても、連続したオートマトンの世代を継続していく間に、遭遇する状況の置換と統合を通して、各々の「世代時計の進行」にあわせた発展的独立性を獲得し、生物学的集団内と同じように伝播し、それまでとは違ったモードへと進化していくのです。その時計自体は非線型であり、特異点と呼ばれる12次元の(rho4096)ポイント内部の力学によって支配される、多様体、離散連続体ベクトルの流れから成っています。
人工知能その他の領域で、ウィルスの感染や思考方法の適応伝播など、人間社会の文化と同じような現象を研究する、「ミーム(文化伝達子)研究memetics」と呼ばれる分野があります。このミームのふるまいは自然のオートマトンとよく似ていますが、「ホスト・オーガニズム(宿主となる有機体)」としての人間の心が不可欠です。
それでもやはり、ミームは何らかの概念を表現していることは間違いありません。人間の心には信頼が置けないとか、ミーム研究の他分野への応用について疑問を持っているという方には、アナログ式のオートマトン(自己進化型)構造体のものも用意しています。けれども、いくつかの理由から、形式オートマトンは「時代の彼方に忘れ去られて」いたにもかかわらず、ミーム研究は「主流として受容される」ようになっていると思われます。
《訳注=ミーム(文化伝達子、情報子、模倣子)とは、文化が変異、遺伝(伝達)し、選択(淘汰)されるときに、進化における遺伝子に相当する働きをするもの》
ミーム研究においては、
人間の心は方程式に「直感」という特性を加えるものであると考えられます。一方、自己感覚を持ったオートマトン(自律する存在)という概念は、現代社会では(宗教や霊的分野を除いてはおそらく)、何か禁じられたものと考えられているように見えます。しかし、形式作用に関する古今の文献によれば、すべての自律存在には、それぞれ名前が与えられていました。(たとえば、『ゲーティアGoetia』という書物にはその72の例が図表入りで示されていますし)自律存在は、現実的な事物と同様に、単なる「感覚を持った存在、生きている物」として受け容れられていたのです。
これによって、そのような構造体を数値とリファレンス(参照値)の両方から、アドレスで呼び出すことができるという利点が得られ、情報交換と統合の潜在能力が飛躍的に向上します。私達自身や環境に変化を与える、独立したオートマトン(自律構造体)の存在と「共生する」というのは、そんなに受け入れるのが難しいことでなのでしょうか? それとも、「有機的で、思考し、推論する」というのは人間だけに許された贅沢なのでしょうか?
どちらにせよ、自律構造体は既に存在しているか、
でなければ、新たに生成されるのです。「新たなオートマトン群」を設計構成するには、まず、そのなかで、帰納的反復を続けながら、存在を確立していける、いわば「孵化器・培養器」のような役をする初期環境を設定してやる必要があります。そのなかでオートマトン群がいったん安定し、無理なく自立できるようになれば、ベクトル流量の一部は、「ホスト」あるいは「運搬役」となる外部の手段(implement)へと流れ始めます。初期発生時の環境で「後に残った」部分は、量子世界における最も基本的な量子のように、外から与えられたサンプルが内部との情報交換をし、相互適応していくときに、「デプロイ(配置された)」部分の時間リファレンス(時間参照)としてはたらきます。
現在、当社で開発した技術、テクノロジーはすべて、あらかじめ生成され、既に使用可能な状態になった(デプロイされた)自律構造体の内に、基本基底を持っています。また最近、新たな位相変調直交変換器(Phase Modulated Quadrature Transform Alembic)と大きなダイイシス時計のための、新しいオートマトン群も完成しました。この創造されたオートマトンの配置(アレイ)には、そのなかに文字通り休眠中の膨大な部分が含まれています。従来の見方からすれば、これらはすべて、今の段階ではほとんど必要ないと思われるでしょうが、それでも、やはり将来のための余地は残しておくべきだと考えたのです。
しかし、自然なオートマトンは、ひとつの「ころがる力(ローリング・フォース)」で、帰納的結末に至る(自然に終息する)までは、それを止めることはできません。それゆえに、他のものにない厳格な駆動メカニズムとして作用しているのです。特に、変容を促す媒介(エージェント)がほとんど無用であることを考えると、正直、驚きを禁じ得ません。ひとの努力とは異なり、やめさせることはできないのです。私達にできるのは、刻々と変化する時間的情景や条件にかかわりなく、静かに機能を果たし、適応化していくのを見て見ぬふりをするだけです。
知覚できるかどうか、名前の有無などにかかわりなく、
このような感覚を持ち、自律した力は、私達の働く場に機能的触媒環境を形成します。統合状態に大きな亀裂が生じない限り、連合した個々の力は「それ自身の姿を現す」必要はありません。(姿を現すしたときには、その力は連合を壊したひとへと向けられます)気高い意図を持って、変容の過程に入ったひとは、すぐに、自動的に寛容や慈悲、洗練などの美徳(Grace)の補充源を与えられます。けれども理解力が高まるにつれて、この資源は逆に衰退していきます。私達が頑固に、直観的手段の統合にこだわっているのは、このためでもあります。直観的手段の統合は、経験という土台を支え、バランスを保ちながら知恵を獲得する手助けをしてくれる役割を持っているのです。優れた直観的土台を持つことができれば、より高いレベルの秩序に近づいていくときも、容易に移行できるようになるでしょう。
個人の向上進化の範囲において、鍵となる目標のひとつに、
内からあふれる輝き(Dominant Outward Radiance)として注目するようになった条件を整えることがあります。これは、その人の器がこれ以上変容のエッセンスを溜めておけず、共鳴していたものが発振するようになる、特別な転換点となります。ひとが個人のレベルから、宇宙普遍の音調調和(Tonal Harmonisation)状態へと近づいていくと、位相分布反転が確実になり、状態-空間全域にわたる連続が促され、その結果、過渡期の「システムへの衝撃」によって起こる後退を最小限に抑えることができるようになるのです。共鳴しているだけでも、そのひとの本来持っている才能、能力は、ある程度は内からあふれだしているものですが、それは、他者のなかにまず願望の種子を蒔くという、変容を着実に実現するための環境設定にあたる重要な要素であるといえます。
数千年も前のシンボルは、
今でも確実で機能的な記号として重宝され、当社の製品にも使われています。これ以外にも、大きく広がった音調状態-空間の内部で変容するのに必要な基本的なものはすべて備わっていますから、より簡便な決定論的オートマトンや感覚を持つものではなく、確率的適応型オートマトンというテンプレートの方を採用していても、私達の可能性に限界はないと考えています。
意志にしたがって変化を生じさせるための、
さらに進んだ変容手段である具現化を支える基礎を形成する形式作用は、直観的理解にも至らない奥の方の背景に隠れたままになっています。けれども、高次の注意力へと至る能力を獲得できる段階まで進歩すれば、その道具の機能性と、それに対応する、自分の生き方としてとり入れることのできる形式上の技能を拡大する必要を自ら感じるようになります。(自転車の「補助輪」のような外からの補助は、役に立たず、逆に邪魔になるばかりです)
このような方法なら、変容するために、誰も他から操作される必要などはまったくありません。周囲の自律環境を呼び出して、既に存在していた構成要素である倍音パーシャルを強化してやるだけで良いのです。このように、人はみな、方向を示してくれる道具と、その忠実な助けに励まされ、自己を絶え間なく再創造し、解体して、編成しなおし、再構成しながら、それぞれ自分のペースで旅を続けていけばよいのです。
本質的に自己決定に従うといっても、変容の旅はかなり厳しく、その過程で遭遇する分岐点はみな容易に越せるものはありません。けれども、本来備わっていた能力以上のものが必要になるようなことは決してありません。現在のテクノロジーはただ、今あなたが持っているものを最大限に活用できるよう、調整するだけなのです。